[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
お稽古はそう簡単なもんじゃないぞ。寒い中でとか、暑い中で稽古するからこそ精神をも鍛えることができるのじゃ!
寒稽古・暑中稽古は、本校初代平井校長により、真に役立つ有為な幹部を育成し、「質実剛健にして清廉高潔」なる校風を築くために、高良山登山走を始め、背振山登山行進(80キロ行軍)、深江における遊泳訓練(深江遠泳訓練)などとともに、建学当初から本校の伝統行事として位置付けられ、寒稽古は、建学初年度である昭和30年1月に、暑中稽古は、翌年度の昭和31年8月に、ともに学校長以下全校を挙げて、心身を鍛練し、剛健なる気風を涵養するとともに任務遂行に必要な体力・気力及び技術を練成する目的をもって実施されたのがその起源となっている。
それ以降、昭和51年までの22年間絶えることなく、歴代校長により寒稽古・暑中稽古とも平均して約1週間にわたり実施してきた。中には候補生のみで実施した年度もあるが、基本的には候補生とともに、学校長以下職員が挙校一体となって、銃剣道を主体とした訓練を行って本伝統行事を継承してきた。
昭和52年度から平成4年度までの14年間は、寒稽古・暑中稽古ともに実施したりしなかったりを数回繰り返した歴史がある。実施しなかった理由は定かではないが、当時の学校長の考えや候補生の教育課目と学校行事の都合上設定が困難であったものと推測される。
平成5年度から同9年度の間は、寒稽古・暑中稽古とも実施してはいるものの、候補生は参加せず、職員のみにより銃剣格闘または徒手格闘を実施してきた。また、この時期から、特に寒稽古において、「休暇気分の一掃」の狙いを含めて休暇明けに設定されており、本行事の本来の狙いから逸脱してきたことが感じられる。
平成10年度から同14年度までは、寒稽古・暑中稽古とも実施されていなかったが、平成15年度になって、当時の第28代直海校長により、「建学精神に立ち返ろう」及び「挙校一体」などが校務運営のスローガンとして示され、「剛健強調週間」を冠して「暑中・寒中稽古」として復活され、候補生とともに、学校長以下職員全員が挙校一体となって銃剣道及び徒手格闘を実施してきた。