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+09:00" dc:description="今、お茶には月に三回通っています。 もう楽しみで楽しみでしょうがありません、この3回が。 去年一年間は、月一回のコースで通っていたんですが、そうすると、お稽古でやったことが、次には一ヶ月あいてしまって、なんだか間が空いちゃって身につかない気がして。もし、休んだ時には二ヶ月も、なにもやらないわけだからすっかり忘れてしまうものなんです。 お茶の場合" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/12/" /> -->
今、お茶には月に三回通っています。 もう楽しみで楽しみでしょうがありません、この3回が。
去年一年間は、月一回のコースで通っていたんですが、そうすると、お稽古でやったことが、次には一ヶ月あいてしまって、なんだか間が空いちゃって身につかない気がして。もし、休んだ時には二ヶ月も、なにもやらないわけだからすっかり忘れてしまうものなんです。
お茶の場合、千利休のかるたにもあるように、「茶の湯とは、ただ湯を湧かし 茶ををたててのむばかりなる事と知るべし」ってことで、基本的に、茶道で習うことは、お茶を煎れてお客さまに出して飲んでもらうという、その簡単な動作なわけだから、そんなに、ややこしいことをすることもないことだろうと思うけれど、こんなこと言ってると、それこそ、お茶をやってる意味がなくなってしまうので、いまのところ、考えないことにしようとただ自分の思いの中では得心していますが・・・。さて岡倉天心の「茶の本」に「茶は我々にとっては、飲む形式以上のものとなった。それは生の術の宗教である」なんて、ふむふむとわかったような気になれないこともないような記述もあるんだけれど、宗教って言い過ぎだろ!あ、でもやっぱ宗教っぽいかなぁ・・・?やっぱり言葉じゃなくてこういうことは、身につかなきゃしょうがないしね。
まあ、「身につく」ということで言えば、月三回というのは、ちょうどいいのかもしれないけれど、それにしても、このごろのわたしは、随分お茶三昧な感じがする。お茶にどっちかというと飲まれている感じ?
とにかく、なんでこんなに??と思う程、お茶には決まりごとがあって、お作法もなんやかやとあって、ちゃんと把握しきれないから、適当にやって、他の人と違ってると、あせったりもするけれど、(ほんと面倒くさいんだから!)だからといって、ものすごく恥をかくとか、右往左往するほど困ったりしないから、ほんの少しずうずうしくなってきた年代には、なかなか緊張感のある楽しいお稽古ごとだなーと思うんだけれどもね・・。美味しいお茶菓子も楽しみだし。うふ★じつはお菓子が一番だったりして・・。
実際、お稽古にきている方で、もう40年以上というおばあさまが三人いるんですが、その三婆様は、まるで、ピクニックにきてるみたいで、いつもほんとに楽しそうなんです。三婆様とは口が悪いですけど。三人とも東京からお着物で通ってるんだけれど、お弁当持参で一日中いるのよ。ひとりは野口さんといって世田谷区に住んでいるのね。別の人は、目が細くて丸顔でいつも笑った顔なんだけれど、むかしのお人形さんみたいに愛らしくてこれが、話の内容から、家には、しっかり者のお手伝いさんがいるらしいのでその人についてあれこれ教えてくれるんです。三人目は、昔の女優さんのように美しい人で、聞いて納得、元芸者さん、置き屋の女将さんだったそうですよ。この方たち、70才は越えてるだろうとは思っていたけれど、話を聞くともうすぐ90才みたい。ひぇーーーっ!!そんなお年には見えないけれど、もう亡くなった先代から習ってる訳だから、ちょっとすると、今の家元よりも貫禄があるのよね。よろよろしながらでも、お手前はしっかりしてて、適度な間や、余計なおしゃべりもなんだか風流で、やっぱり、たてたお茶の味が違うもん。
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+09:00" dc:description="お茶って何であんなに人を癒すのでしょうかねー??ほんとすばらしいものを神様は与えてくださいました! 今回は、ボクがはまっていることのひとつをご紹介しますね。 まぁきっかけは、茶道(お抹茶)を習っている会社の同期の友達に 『よかったら見学に来てみない?』と誘われたことなんですがね。まぁ会社からも近いし、おいしいお菓子とお茶が頂けるのなら・・・と軽い気持ちで見学に行った事から始まったのであり" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/11/" /> -->
お茶って何であんなに人を癒すのでしょうかねー??ほんとすばらしいものを神様は与えてくださいました!

今回は、ボクがはまっていることのひとつをご紹介しますね。
まぁきっかけは、茶道(お抹茶)を習っている会社の同期の友達に
『よかったら見学に来てみない?』と誘われたことなんですがね。まぁ会社からも近いし、おいしいお菓子とお茶が頂けるのなら・・・と軽い気持ちで見学に行った事から始まったのであります。
抹茶は、和菓子屋さんなどで何度か頂いたことはあったんですけれど、
きちんとした決まりは知らずになんとなくお茶碗をまわしてから、2~3口で頂くものかな・・・
といったレベルで詳しいことなんかぜんぜんわっかんない!
しかも初めての見学の時に、衝撃を受けたのが、出されたお抹茶が今まで自分が飲んだことのないものだったこと。なんだこの味!しっぶいのが出てくるのかと思ったら、うまーーーい!!
今ではその違いも意味もわかりますが、その時は本当に驚きましたよ、うん。
お茶碗の中には緑色のドロッとしたものが入っていて、飲むというよりは吸わないと出てこないんですね。普段、私たちがお店などで頂いているものは『お薄(おうす)』と呼ばれるものみたいで、
ボクが頂いたものは『お濃茶(おこいちゃ)』と呼ばれるものでした。濃くて本当においしかったなぁ!!
『お濃茶』はお薄よりもたくさんの量のお抹茶(粉末)を少量のお湯で練るのですが、
同じ量のお抹茶とお湯を使っても練る人が違うだけでまったく艶も粘度も違ってくるみたいですね。
見学した時は、お客さん役だったので、色々な方のお茶を頂けて、初めてのボクでもその違いがはっきりわかりましたよ。
+09:00" dc:description="心をふれあわせるということは人間誰にとってもとても大切なことですね。 松本さんの主宰するお茶事などに使われている茶柱というお茶会場です。ここでは会員制の教室のほかに、月1回は誰でも参加できるお茶事教室が開かれていますのでぜひみなさんも足を一度運んでくださいな。 お茶事とは、もてなす側は一碗の濃茶をいかにおいしく召し上がっていただくか、という目的のために、食事とお酒を客人にもてなし、客側もただお茶" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/10/" /> -->
心をふれあわせるということは人間誰にとってもとても大切なことですね。 松本さんの主宰するお茶事などに使われている茶柱というお茶会場です。ここでは会員制の教室のほかに、月1回は誰でも参加できるお茶事教室が開かれていますのでぜひみなさんも足を一度運んでくださいな。
お茶事とは、もてなす側は一碗の濃茶をいかにおいしく召し上がっていただくか、という目的のために、食事とお酒を客人にもてなし、客側もただお茶をいただくだけではなく、亭主の心づかいを感じて、心のふれあいを楽しむものといわれていますね。でも作法を知らないし、緊張しそう・・・なんて心配は無用ですよ!。全然心配しなくてもいいのです。ここはあくまで「教室」ですから、わからないことはどんどん聞けばよいのですよ、学校みたいにね。
それがお茶を習う心ってもんです!

平安時代や鎌倉時代に薬として中国から伝わった茶は、室町時代に茶の産地を当てる闘茶(とうちゃ)という娯楽として上流階級の人々の間に流行しましたね。上流階級で流行したことにより豪華になった茶会を戒め、簡素で精神的な茶の湯を生み出したのが、室町時代の僧侶 村田珠光(むらたしゅこう)ですけれども。その精神は武野紹鴎(たけのじょうおう)に受け継がれ、その後、安土桃山時代の千利休が「わび茶」を完成させましたのはみなさんもよくご存じだと思います。

千利休には多くの弟子がおり、そこから多くの流派が誕生しましたね。三千家(さんせんけ)とは千家三代目 千宗旦の子供三人が、官休庵(かんきゅうあん:武者小路千家)、不審庵(ふしんあん:表千家)、今日庵(こんにちあん:裏千家)をそれぞれ継いだもので、現代もなお千利休の精神が受け継がれているんですね。

 

+09:00" dc:description="むかーし昔、私はお茶のお稽古とかお花のお稽古などやるきはまったくといっていいほどありませんでしたの。めんどくっせーなんて思ってたくらい・・・。 それがどうしてかしら、お花は「まあ少しぐらいは自分で生けられるといいなあ!」と思い始めて、 やっていくうちに惹かれていったんだわ・・・。しかしながら絵心が無くまた花の名前もぜんぜん覚えられなくて 別に試験があるわけでもなかったので、どっちかというと成" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/9/" /> -->
むかーし昔、私はお茶のお稽古とかお花のお稽古などやるきはまったくといっていいほどありませんでしたの。めんどくっせーなんて思ってたくらい・・・。
それがどうしてかしら、お花は「まあ少しぐらいは自分で生けられるといいなあ!」と思い始めて、
やっていくうちに惹かれていったんだわ・・・。しかしながら絵心が無くまた花の名前もぜんぜん覚えられなくて
別に試験があるわけでもなかったので、どっちかというと成すがままにやっていましたのよね。
お茶のお稽古はというと、これは私が学生の頃、一番下の妹がお琴を習っていてね、まぁお琴なんてつまんないものをよく毎週毎週習っていられるわね、なんて考えてはいたんですが、
そこでお琴集会がありましたの。何回目かときに妹は特別私のために曲を弾きたいといって、私と直ぐ上の姉が担ぎ出され、直ぐ上の姉は中学からお茶をならっていたのでもんだいはなかったのですが、私はお茶の事は何も知らず解からないのでお茶をお運びしたり、お茶をいただくぐらいは出来ないとということでお茶のお稽古が始まりましたの。へんなきっかけもあるもんでしょー?そうして始まったお茶のお稽古でしたのがそれが何故か私の習性にあっていたのでしょうかねー。今考えてみるとのんびりゆったりした時間の中でお茶を
点てたり、いただいたりということが、とても落ち着いて気が安らぎとかさ、そしてまたそのお茶の先生が
とても茶人らしくふるまわれて私は、このような先生にお稽古を見ていただくのはとても素晴らしいことだなぁ
と思って、結婚するまでお稽古が続きましたのね。そうしてお稽古をしながら、また結婚してからでも本屋に
何気なく立ち寄ったりした時、必ず茶道関係の書物に目を通したり
「茶と禅」とか「茶の心」とか「茶道辞典」とかまた千宗室の「茶道のおしえ」や「利休百首」などを買っていたのですが、結婚して子供ができてからは子育てに追われちっとも読んでいなかったのですよね。最近になってようやくまた「あ、これじゃあいけないな」と思い直してゆっくりと読む時間が出来ましたの。
物事を続けるってなかなか簡単じゃあありませんわね。
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