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わたし、3年前、英語を勉強している友人から相談を受けたことがあるんです。おもしろい相談なんですけどね・・・。英会話学校に一年半ほど通っているのだが、進歩が見られない。学校の授業でうんざりしているので文法の勉強は絶対にしたくない。何か言い方法はないか、というものでさー。よくあるケースなのですが、私はまず簡単な英作文をしてくれないかと言い、例文をあげました。「このりんごはあのりんごと同じくらいの大きさです。」困っていたので「as~asを使ってみましょうか。」と助け船を出したら・・・・
This apple as that apple as big.
う、うん・・・・そうだね・・・
「残念ながら、」なるべく傷つけないように言葉を選びながら、私は言いましたよ。
「正しい英文とは言えませんよね。悪くないよ、悪くないけどね・・・」
それから、あまり刺激しないように、細心の注意を払いながら次のように提案してみましたの。
「おそらく、今のまま会話だけをやっていても、上達することはないでしょう。わたしがここで人肌脱いであげましょうか?ここらで、正しい英文の作り方を練習してみる必要があると思うのですが。その、まあ、文法をちょっと・・・」その途端彼女の表情は険しくなりました。「文法は絶対にやりたくありません。文法は絶対にイヤ!!」
私たちの話し合いはそこで決裂しました。文法をまったく勉強せずに英語を上達させることは、ほぼ不可能だからです。彼女が帰った後、私は哀れな英文法に同情しましたよそれは。本当はとっても、助けになる言い奴なのになんでこんな人々を当惑させているのだろうか・・・。これほどの文法嫌悪症を植え付けるのはなぜ?学校・受験英語での英文法の扱われ方、教えられ方を思い起こしました。「英語学習の中での、正しい位置付けさえちゃんとされれば、本当に身になる教えられ方さえすれば、こんなにも目の敵にされることもなかろうに・・・英文法よ、君も本当に不憫なやつだなあ」 哀れ、哀れ・・・