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+09:00" dc:description="心をふれあわせるということは人間誰にとってもとても大切なことですね。 松本さんの主宰するお茶事などに使われている茶柱というお茶会場です。ここでは会員制の教室のほかに、月1回は誰でも参加できるお茶事教室が開かれていますのでぜひみなさんも足を一度運んでくださいな。 お茶事とは、もてなす側は一碗の濃茶をいかにおいしく召し上がっていただくか、という目的のために、食事とお酒を客人にもてなし、客側もただお茶" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/10/" /> -->
心をふれあわせるということは人間誰にとってもとても大切なことですね。 松本さんの主宰するお茶事などに使われている茶柱というお茶会場です。ここでは会員制の教室のほかに、月1回は誰でも参加できるお茶事教室が開かれていますのでぜひみなさんも足を一度運んでくださいな。
お茶事とは、もてなす側は一碗の濃茶をいかにおいしく召し上がっていただくか、という目的のために、食事とお酒を客人にもてなし、客側もただお茶をいただくだけではなく、亭主の心づかいを感じて、心のふれあいを楽しむものといわれていますね。でも作法を知らないし、緊張しそう・・・なんて心配は無用ですよ!。全然心配しなくてもいいのです。ここはあくまで「教室」ですから、わからないことはどんどん聞けばよいのですよ、学校みたいにね。
それがお茶を習う心ってもんです!

平安時代や鎌倉時代に薬として中国から伝わった茶は、室町時代に茶の産地を当てる闘茶(とうちゃ)という娯楽として上流階級の人々の間に流行しましたね。上流階級で流行したことにより豪華になった茶会を戒め、簡素で精神的な茶の湯を生み出したのが、室町時代の僧侶 村田珠光(むらたしゅこう)ですけれども。その精神は武野紹鴎(たけのじょうおう)に受け継がれ、その後、安土桃山時代の千利休が「わび茶」を完成させましたのはみなさんもよくご存じだと思います。

千利休には多くの弟子がおり、そこから多くの流派が誕生しましたね。三千家(さんせんけ)とは千家三代目 千宗旦の子供三人が、官休庵(かんきゅうあん:武者小路千家)、不審庵(ふしんあん:表千家)、今日庵(こんにちあん:裏千家)をそれぞれ継いだもので、現代もなお千利休の精神が受け継がれているんですね。

 

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+09:00" dc:description="むかーし昔、私はお茶のお稽古とかお花のお稽古などやるきはまったくといっていいほどありませんでしたの。めんどくっせーなんて思ってたくらい・・・。 それがどうしてかしら、お花は「まあ少しぐらいは自分で生けられるといいなあ!」と思い始めて、 やっていくうちに惹かれていったんだわ・・・。しかしながら絵心が無くまた花の名前もぜんぜん覚えられなくて 別に試験があるわけでもなかったので、どっちかというと成" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/9/" /> -->
むかーし昔、私はお茶のお稽古とかお花のお稽古などやるきはまったくといっていいほどありませんでしたの。めんどくっせーなんて思ってたくらい・・・。
それがどうしてかしら、お花は「まあ少しぐらいは自分で生けられるといいなあ!」と思い始めて、
やっていくうちに惹かれていったんだわ・・・。しかしながら絵心が無くまた花の名前もぜんぜん覚えられなくて
別に試験があるわけでもなかったので、どっちかというと成すがままにやっていましたのよね。
お茶のお稽古はというと、これは私が学生の頃、一番下の妹がお琴を習っていてね、まぁお琴なんてつまんないものをよく毎週毎週習っていられるわね、なんて考えてはいたんですが、
そこでお琴集会がありましたの。何回目かときに妹は特別私のために曲を弾きたいといって、私と直ぐ上の姉が担ぎ出され、直ぐ上の姉は中学からお茶をならっていたのでもんだいはなかったのですが、私はお茶の事は何も知らず解からないのでお茶をお運びしたり、お茶をいただくぐらいは出来ないとということでお茶のお稽古が始まりましたの。へんなきっかけもあるもんでしょー?そうして始まったお茶のお稽古でしたのがそれが何故か私の習性にあっていたのでしょうかねー。今考えてみるとのんびりゆったりした時間の中でお茶を
点てたり、いただいたりということが、とても落ち着いて気が安らぎとかさ、そしてまたそのお茶の先生が
とても茶人らしくふるまわれて私は、このような先生にお稽古を見ていただくのはとても素晴らしいことだなぁ
と思って、結婚するまでお稽古が続きましたのね。そうしてお稽古をしながら、また結婚してからでも本屋に
何気なく立ち寄ったりした時、必ず茶道関係の書物に目を通したり
「茶と禅」とか「茶の心」とか「茶道辞典」とかまた千宗室の「茶道のおしえ」や「利休百首」などを買っていたのですが、結婚して子供ができてからは子育てに追われちっとも読んでいなかったのですよね。最近になってようやくまた「あ、これじゃあいけないな」と思い直してゆっくりと読む時間が出来ましたの。
物事を続けるってなかなか簡単じゃあありませんわね。
+09:00" dc:description="わたし、3年前、英語を勉強している友人から相談を受けたことがあるんです。おもしろい相談なんですけどね・・・。英会話学校に一年半ほど通っているのだが、進歩が見られない。学校の授業でうんざりしているので文法の勉強は絶対にしたくない。何か言い方法はないか、というものでさー。よくあるケースなのですが、私はまず簡単な英作文をしてくれないかと言い、例文をあげました。「このりんごはあのりんごと同じくらいの大きさ" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/8/" /> -->

わたし、3年前、英語を勉強している友人から相談を受けたことがあるんです。おもしろい相談なんですけどね・・・。英会話学校に一年半ほど通っているのだが、進歩が見られない。学校の授業でうんざりしているので文法の勉強は絶対にしたくない。何か言い方法はないか、というものでさー。よくあるケースなのですが、私はまず簡単な英作文をしてくれないかと言い、例文をあげました。「このりんごはあのりんごと同じくらいの大きさです。」困っていたので「as~asを使ってみましょうか。」と助け船を出したら・・・・

This apple as that apple as big.

う、うん・・・・そうだね・・・ 
「残念ながら、」なるべく傷つけないように言葉を選びながら、私は言いましたよ。
「正しい英文とは言えませんよね。悪くないよ、悪くないけどね・・・」
それから、あまり刺激しないように、細心の注意を払いながら次のように提案してみましたの。
「おそらく、今のまま会話だけをやっていても、上達することはないでしょう。わたしがここで人肌脱いであげましょうか?ここらで、正しい英文の作り方を練習してみる必要があると思うのですが。その、まあ、文法をちょっと・・・」その途端彼女の表情は険しくなりました。「文法は絶対にやりたくありません。文法は絶対にイヤ!!」
私たちの話し合いはそこで決裂しました。文法をまったく勉強せずに英語を上達させることは、ほぼ不可能だからです。彼女が帰った後、私は哀れな英文法に同情しましたよそれは。本当はとっても、助けになる言い奴なのになんでこんな人々を当惑させているのだろうか・・・。これほどの文法嫌悪症を植え付けるのはなぜ?学校・受験英語での英文法の扱われ方、教えられ方を思い起こしました。「英語学習の中での、正しい位置付けさえちゃんとされれば、本当に身になる教えられ方さえすれば、こんなにも目の敵にされることもなかろうに・・・英文法よ、君も本当に不憫なやつだなあ」 哀れ、哀れ・・・

+09:00" dc:description="習い事の中でも最も多い物の一つは英会話ですね。 ただ逆に言うと、英会話は苦手と考えているひとが多いのかもしれません。まぁたしかに、日本人は文法と読解ばかりやるから、英語が話せないという批判は、日本の英語教育を批判する際の常套句です。教師が日本語で文法事項を解説し、英語の文章を日本語に訳してゆくという昔ながらの教授法は、「文法訳読法(the Grammar-translation method)」" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/7/" /> -->
習い事の中でも最も多い物の一つは英会話ですね。
ただ逆に言うと、英会話は苦手と考えているひとが多いのかもしれません。まぁたしかに、日本人は文法と読解ばかりやるから、英語が話せないという批判は、日本の英語教育を批判する際の常套句です。教師が日本語で文法事項を解説し、英語の文章を日本語に訳してゆくという昔ながらの教授法は、「文法訳読法(the Grammar-translation method)」と呼ばれますよねー。

文法訳読法の最近の評判は、決して芳しいものではありませんね。えー、国際化が進んでいるのに、日本人の英語力が一向に上がらないのは、どちらかというと、旧態依然とした文法訳読法の授業がいけないのだと、日本人の英語力不足の元凶として名指しされることもしばしばですって。

しかしながら、教授法の歴史を少し紐解いてみると、文法訳読法を一方的に悪役と決め付けるのは、それは物事を単純化しすぎた浅薄な意見に過ぎない、ということが分かってくるのではないでしょうか。
+09:00" dc:description="寒稽古・暑中稽古の歴史   お稽古はそう簡単なもんじゃないぞ。寒い中でとか、暑い中で稽古するからこそ精神をも鍛えることができるのじゃ! 寒稽古・暑中稽古は、本校初代平井校長により、真に役立つ有為な幹部を育成し、「質実剛健にして清廉高潔」なる校風を築くために、高良山登山走を始め、背振山登山行進(80キロ行軍)、深江における遊泳訓練(深江遠泳訓練)などとともに、建学当初から本校の伝統行事として" dc:identifier="http://naraitaina.bangalog.com/Entry/6/" /> -->

寒稽古・暑中稽古の歴史

 
お稽古はそう簡単なもんじゃないぞ。寒い中でとか、暑い中で稽古するからこそ精神をも鍛えることができるのじゃ!
寒稽古・暑中稽古は、本校初代平井校長により、真に役立つ有為な幹部を育成し、「質実剛健にして清廉高潔」なる校風を築くために、高良山登山走を始め、背振山登山行進(80キロ行軍)、深江における遊泳訓練(深江遠泳訓練)などとともに、建学当初から本校の伝統行事として位置付けられ、寒稽古は、建学初年度である昭和30年1月に、暑中稽古は、翌年度の昭和31年8月に、ともに学校長以下全校を挙げて、心身を鍛練し、剛健なる気風を涵養するとともに任務遂行に必要な体力・気力及び技術を練成する目的をもって実施されたのがその起源となっている。
 それ以降、昭和51年までの22年間絶えることなく、歴代校長により寒稽古・暑中稽古とも平均して約1週間にわたり実施してきた。中には候補生のみで実施した年度もあるが、基本的には候補生とともに、学校長以下職員が挙校一体となって、銃剣道を主体とした訓練を行って本伝統行事を継承してきた。
  昭和52年度から平成4年度までの14年間は、寒稽古・暑中稽古ともに実施したりしなかったりを数回繰り返した歴史がある。実施しなかった理由は定かではないが、当時の学校長の考えや候補生の教育課目と学校行事の都合上設定が困難であったものと推測される。
 平成5年度から同9年度の間は、寒稽古・暑中稽古とも実施してはいるものの、候補生は参加せず、職員のみにより銃剣格闘または徒手格闘を実施してきた。また、この時期から、特に寒稽古において、「休暇気分の一掃」の狙いを含めて休暇明けに設定されており、本行事の本来の狙いから逸脱してきたことが感じられる。
 平成10年度から同14年度までは、寒稽古・暑中稽古とも実施されていなかったが、平成15年度になって、当時の第28代直海校長により、「建学精神に立ち返ろう」及び「挙校一体」などが校務運営のスローガンとして示され、「剛健強調週間」を冠して「暑中・寒中稽古」として復活され、候補生とともに、学校長以下職員全員が挙校一体となって銃剣道及び徒手格闘を実施してきた。

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